ホラービデオ(ブランク、男子視点練習)
『ねえ……あの角の向こうに……誰か、居ない?』
「てってけー! 歩くよトム太郎ー! 隅っこー! 歩くよトム太郎ー!」
『ひっ……い、や嫌、やだ、嫌あああ!』
「だァァい好きなのぉはァァァ! ひィィィまわりの稲ェェェ!」
「うるせえよお前さっきからァァァ!
てってけトム太郎推しなのは分かったから少し黙ってろォォォ!」
目を瞑り耳を手で必死に塞いでいるであろう彼女の頭を思い切り叩くと、異常なまでに反応し身体をびくりと震わせた。
意気揚々と借りたホラービデオを片手に俺の家へと乗り込んできた彼女は一体どこへやら、ベッドの端に畳んでおいた布団を頭から被り芋虫のようにもごもごと動いている。
その上怖い場面に移り変わると途端に大声で歌いだすものだから、その歌声にまた俺が驚く。普通に心臓に悪い。
「な、何でこんなの借りてきちゃったんだろう……。
わざわざお金払ってまで怖い思いをするだなんて一体どんなマゾヒストだ。
私はホラー物を売り出そうと提案した人物を殴りに行きたいよ」
「お前だよマゾヒスト。じゃあ見るのを止めれば……」
「う、うーん……。 けど何か勿体無いじゃん」
そう言ってまた見始める彼女を健気だと捉えても良いものなのかどうか。
何かが起こるたびに「ひっ」と小さく呟いては身を縮めガタガタと震えだす姿は、何というかその少し……いや、かなり加虐心を煽られるので即刻帰って頂きたい。
「あわわ何か今映ったよ映ったってェェ!」
「そりゃ何か映んないとホラー体験なんて出来ないからな」
「声! 声聞こえたァァァ! ……そういえばさ、3Dで見れるホラー映画なんてものが今の世の中存在してるんだってね」
「何だよその謎の温度差。切り替え早くないか。
みたいだな、大分タイムリーな話題だけど」
「そんなもの造る技術があるんなら早くネコえもんを製造してほしいとは思わない?
油断してるとあっという間に二十三世紀になっちゃうよ全く」
「お前サンタとか信じてる口だろ」
「サンタさんは居るよ。
何のために私は規則正しい生活を日々送っていると思ってるの。きっとサンタさんは全国の良い子達にプレゼントを贈るため毎日せっせと筋トレしてるんだよ」
「……そうか」
色々と言っておきたい部分はあったがまあ、下手なことを言って失望させない方が良いか。半分呆れるももう半分はちょっとした親心のような気持ちで口を噤む。
まさかこの年で早くも子供を想う父親の気分を味わえるとは思いもしなかったが、自分の彼女がこんな調子だと当分は同じものを味わうことになるだろう。
何だか何とも言えない複雑な感情にもやもやと支配されていると、唐突に黙ったことを不思議に思ったのかぽかんとした顔が不意に目の前に現れ、思わず大げさに身を引いた。
「……どしたの?」
「い、いや何でも」
「……一応言っておくけどサンタ云々の話しは嘘だよ?
居るわけないじゃん騙されてやんのーぷっぷくぷー」
「死ねよ」
「予想以上に辛辣な言葉が返ってきた!」
ショックを受けた様子でふらふらと後退し、そのまま存在を忘れかけていたテレビの方へと自然に視線が移る。
それにつられて俺もテレビの方を見やると、丁度眩しいフラッシュのような物が焚かれたと同時に目玉の部分が抜け落ちた髪の長い女性が画面一杯に現れた。
いざこちらへ参らんとしようとしているその映像は……おお、これは中々に怖「ちょ、ま、ひぎいいいいいいいい!」
「うお! おい、落ち着けって!」
「不意打ちは駄目だってェェェ!
何アレ心臓停止するってば訴えてやるわこんちくしょう!」
「お、おち、……落ち着けェェ!」
絶叫と共に弾丸でも飛んできたのかと思えるぐらいの速さでこっちに飛び込んできた彼女は、そのまま俺と共に転倒。よほど不意打ちで見てしまったのが衝撃的だったのだろうが、いやしかし少しだけ待って欲しい。
腕と共にガッチリと腰ごと彼女にホールドされている今の姿ははたから見ればその……押し倒されているように見えて。
かと言って怖がっているところを無理やり剥がすのは少し可哀想な気もする、いやそれよりもこれおかしいって。逆。上と下が逆だろこれ。
テレビで何かアクションが起こるたびにぎゅうぎゅうと悲鳴と共に締め付けられる感覚に何だか頭がくらくらして……あああ、全く。
苦労性くんの小さな苦悩
(やばいやばいってこれェェェ!)(良いから離れろォォォ!)