ifの話
例えば私と君が出会わなかったとしましょう。
「……これまた随分と突拍子の無い話題を」
「生産的なことをせずにただ空想にふける時間も重要視すべき。そうは思いませんか?」
それが例え、仮定で作り上げた世界の中の話だとしてもです。手元にある書類を机に放り投げ席を立てば、諦めたように彼も私に習った。瞳に刺さってしまいそうな前髪を面倒そうにかきあげ、目を細める。それらの動作が合図だと信じ肺に酸素を詰めて、一つずつ言語へと変換していく。
「もし……そうですね。私たちが同じ委員会では無かった場合」
つい先ほど手放した紙切れを指し示す。グラフの中に収まった数列の上に、明朝体でレタリングされた『予算案』の三文字。更に左上には申し訳程度の小さな文字で『中央委員会』と記載されていた。
「こうして放課後、二人で時や空間を共有することもありませんよね」
「ほう」
考えるようにボールペンを器用に片手で回し、空いている方の手で顎を摩る。彼が思案している際に無意識に行う基本的な仕草だ。
宙を見つめながら数度、黒い棒を回すと顎から手を離しペンが指から滑り落ちる。……ちなみに言うと、これも彼が答えを導き出した際に行う基本的な動作。
「や、それは無い」
「……理由をお尋ねしても?」
「なぜなら僕は君と幼馴染だからです」
委員会が同じだろうが無かろうが関係無く会いに行くと思う。自らが導きたしたその答えに自分で納得したのか、何度も彼はうんうんと頷いた。
「……なるほど。では仮定を変更します。もし私たちが幼馴染では無かった場合」
頷き続けていた頭が俯いたまま固定された。それはもう、彼に沿って空間が綺麗に切り抜かれたかのように。明らかに難易度が高くなったであろう問いの続きを話そうと、静かに口を開いた。
「……幼馴染では、無かった場合」
そう仮定の結末を導き出すために話す。……話す。ふと、口元を抑え首を傾げる。
驚いたことに例え話が何も浮かばない。……おかしいな。しきりに首を傾げていると、私の姿を鏡に移したかのように彼も首を傾げた。
「どしたの?」
「いえ、何も浮かばないんです」
一人でううむと唸っていると「そういえばさ」と彼が話し始めたので大人しく耳を傾ける。聞きなれた中性的な声質はすんなりと鼓膜を震わせ脳に伝わる。聴きやすく、それでいて落ち着いた不思議な音程だ。
「何で急にそんなこと思ったの」
「……だから、空想に浸るのも」
「なんてごちゃごちゃ言ってたけど」
本当のところは? 語尾を上げ解答を迫られて、彼の瞳から髪の先へと視線を移す。数秒時が流れ、私からは答えを得られないと悟った彼は語り始めた。
「そうだね。僕も仮定には仮定で返してみようか。……人は死や別れについて唐突に考え込んでしまう習慣がある。それと同じように、君も『僕ともし離れる未来が存在するとしたら』。単調的な作業の中でそんな風に考えたんじゃないかな」
やけに長ったらしい台詞の後、私に確認を求めてきたので頷いておく。……彼は人の心を覗き見れる特殊能力があるのではと思ってしまう。それも一つや二つ、なんていう次元では無く。そう感じ取れる場面はこれまでの人生で多々存在しているのだ。
「……これまでの十七年間。いや、出会うまでの期間を除いたら十三年間かな? まあ、まだ若い僕たちにとっては、長い時を過ごしてきたよね」
会話の端々で同意を求められ、その都度頭を縦に振る。会話の主導権を完全に剥奪されてしまった私にはそれぐらいしかやることがない。……いや、正確には頷くだけで精一杯というか。……何というか。
「それこそ、出会わなかった自分という想像図を描けなかったぐらいに」
ねえ?
一歩、二歩と正面に立った彼は腰を曲げ、いつの間に俯いていた私の顔を覗き込んだ。日本人特有の黒い瞳に吸い込まれる。恐らく最後になるであろう疑問符にその通りだと声に出さずに返せば、小さな笑い声が聞こえた。
「安心してよ。もし出会わなかったとしても見つけ出せる自信があるから」
「……何とも不確かな自信ですね」
「愛の力ってやつだよ」
はあ、と曖昧な返事をしたのは決して面倒になったからだとかそういう訳ではない。だからと言って正確に表現することは不可能と言うか、その……何て形容すれば良いのか。要するに頭の中がぐちゃぐちゃでいっぱいいっぱいだと言うことだ。
「一つ不安が解消されたところで。もう一つだけ仮定を立てたいんだけど」
良いよね。語尾を上げずに顔を近付けてくる彼からさり気なく逃げれば、これまたさり気なく後頭部を抑えられた。あれだけ同意を求めていたというのに、こういう時にだけ拒否権を用意してくれない。
着実に近付いてくる彼の気配の中、楽しげに歪んだ口元が嫌に印象的だった。
例えば
(君と僕が恋人同士だとしたら)(……どうする?)