「おーい!」

 丁度委員会が終わったのか、昇降口に佇んでいた彼の姿を発見し大声で呼ぶ。思い切りぶんぶんと手を振れば、傘からはみ出た手に容赦無く雨粒が当たった。冷たい。

「あ、おい! お前朝晴れるっつってたよな!」
「ごめんごめん。ほら、今日はエイプリルエイプリル」

 だから許して、と軽く頭を下げれば納得していないような溜め息が聞こえてきた。

「まあ、もう良いわ。迎えに来てくれたんだろ?」
「……まあ、ね。あの……とても言いにくいんですが」

 傘一本しか持ってきていなくて。
 おそるおそるそう伝えて笑えば「はぁ!?」と心底呆れたような声が聞こえ思わず目を瞑ってしまった。慌てて弁解するようにこれまでの経緯を一息で話す。


 あの後。どうしても無視することが出来ず、結局自分の傘を一本猫にあげることにした。幸い、というか何というか私は傘を二本持っていたからね。

 差していたビニール傘を猫の上に被せ、ついでに持っていたハンカチで体を温めるようにかけてあげた。そうなると必然的に、私は彼に届ける予定だった傘を差すことになるわけで。そうなると……必然的に、彼に渡すはずの傘が無くなってしまうわけで。

 後で絶対に会いにいくから。言葉の意味なんて分かるはずもないと思うけれど、そんなことを子猫に言い残して私はあの場所を小走りで去っていった。

 えへへ、と笑うと今日何度目かも分からない溜め息が聞こえてきた。

「……まあ仕方ない、か」
「はは、ごめん。……だからさ、ほら」

 自分の持っていた傘をずいっと前に突き出す。彼は一瞬意表をつかれたような表情をしたけれど、すぐに頭上にはてなマークを浮かべていた。
 遮るものが無くなった私には肩や頭、背中や足、どんどん雨によって全身冷たくぐっしょりと濡れていく。服が肌に張り付いて気持ち悪い。前髪からこぼれ落ちてきた雨粒に少しだけ目を細めた。

「これ、何?」
「傘だよ」
「いやそれは見たら分かるわ」

 ほら、と更に突き出す傘に彼は首を左右に振った。いやいやいやいや、と小さく呟きながら。

「え、何か問題?」
「問題しかないって。俺一人が差すのはおかしいだろ」
「良いって。嘘をついたお詫びだとでも思って?」

 無理やり彼に傘を渡すと「じゃあ」と元きた道を振り返った。早く家に帰ってお風呂に入らないと。彼じゃなくて私が風邪をひいてしまう。子猫も早く、助けてあげないと。

 そう思って急ぎ気味に足を動かそうとする、と。肩を掴まれ強制的に動きが止まってしまった。反射的に振り返ると同時に、今までこれでもかと降り続いていた雨がぱたりと止んだ。いや違う、雨粒が遮られた。彼の持つ傘によって。

「……一緒に入れば良いだろ」

 そうそっぽを向きながら頬をかく彼の耳は、何だか赤かった。

「いや、良いよ別に。一回濡れたんだからどれだけ濡れても変わらないと思うし」
「良いんだよ。ってか俺が嫌だ。大人しく入っとけ」

 ほら、帰るぞと歩き始める彼に少しだけ笑うと不機嫌そうに眉を寄せられた。何か可愛いな。と、ふと何気なく彼の手元に目がいく。……あれ? 傘を持っている手とは違う手に握られているのは、見間違いだとかそういうのではなくて。これは、間違いなく。

「……傘?」

 そう、折りたたみ傘だった。今の今まで気づきもしなかったけれど、それは紛れもなく彼のもので。私の声に反応するかのように、びくりと隣に並んだ彼の肩が僅かに跳ねた。

「あー……ああ。鞄に入れっぱだったみたいで」
「へー。……あれ、じゃあ私別に必要無かったじゃん」

 何だ、今までの苦労は水の泡だったのか。そう考えると何だか疲れがどっと出てきたような気がした。お騒がせしましたー、と傘の柄を持つ。指先が少しだけ触れて心臓がうるさく主張した。……気がした。
 そしてそれはすんなりと私の元へと渡る……はずなのだけれど、固定されたかのように傘が動かず彼の方を仰ぎ見る。

「良いんだよ。これ、壊れたから」
「……壊れた?」

 そう言われて彼の手元を見てみるも、全く異常は無さそうだ。傘の骨が折れたわけでも無いし、ここから見る限りだと布も破れてはいない気がする。思わずぷっと吹き出すと「何だよ」と不機嫌そうな声が右隣から聞こえてきた。

「いや、別に。……それ、本当に壊れてるの?」
「ああ、壊れてる」
「壊れたことにしたの間違いじゃなくて?」
「……るさい」

 いつの間にか僅かにしか触れていなかった私の手の上から、彼の手が覆い被さるようにして置かれていた。ぎゅ、と握られればさっきまで雨で冷たくなっていたはずの手がじんわりと暖かくなってきて。傘を打つ雨音がいつの間にか聞こえなくなり、それと反比例するように心臓がうるさく私の中で鳴り響く。

 ……たまには、嘘をつくのも悪くはない。そう思い始めた自分に少しだけ笑ってしまった。


二人一傘
(本当は)(彼女の嘘に気付いていない、だなんて小さな嘘をついていた)

(まあエイプリルフールだし)(……別に良いか)