空色、恋色
さらさら、と微かにそんな擬音語が聞こえてきそうな風が流れる。春らしい暖かい気温に混じるこの風は何とも心地よい。
休み時間、校舎からそっと抜け出してきた私は、いつものように中庭へと足を運んでいた。次の授業は数学。あんな、いつ役立つか分からない数式を解く必要性が分からない。どう考えても将来に必要なことでは無いと思う。少なくとも、私の将来には関係の無いことだ。
ボーっと空を眺め、そんなことを考えながらも足を止めることは無い。あんな数字の羅列を解くよりも、空を写真に収めたほうが何倍も良いに決まってる。
しばらく歩いていくと、向かい合って設置されている赤い二つのベンチが目に入った。ここが私の特等席。手に持っていたビニール袋をベンチに置き、その横に私も座る。……と、そこでふと前方を見た。
「……またか」
はあ、とため息をつき、そう彼に話しかける。そこには、目がちかちかとするぐらいに金色の髪をしている、見るからに不良です! と辺りに主張しているような生徒が座っていた。同じ型の制服を着ているはずなのだけれど、着崩しすぎて最早原型を留めていない程になっている。
「まただ」
「写真撮ってる姿なんか見てても面白くないよ?」
「別にいい」
そっすか、と適当に返事を返してビニール袋の中からインスタントカメラを取り出す。今日、登校するついでにコンビニで購入しておいたのだ。
彼は何故か、私がここに来ると必ずベンチに座って待っている。最初はこいつもサボりなのか、と思って無視していたのだが、いつの間にか話をするようになっていた。
今までの会話から察するに、彼は私の撮った写真を文化祭で見かけたらしい。それで、実際に撮る姿を見に来ているらしいのだ。
私は一応写真部に所属している。……けれど、部員が少ない上に大抵が幽霊部員なので、実質活動している人数は私を含め片手で数える程度でしか存在しない。
そんな写真部が唯一活躍出来る行事が、文化祭。私は空の写真が撮れれば良いや、と他人から見れば何とも適当な理由で写真部に入部したため、そんなイベント事には大して興味を持てなかった。……が。
「お願いぃ! 蘭ちゃんの力が必要なのよ!」
と、女言葉を操る部長に頼み込まれ、しぶしぶと今までに撮った空の写真の中でも一段と気に入っていた写真を一枚だけ差し出したのだ。それはまさにこのベンチで撮った写真。放課後遅くまで残っていたかいがあってか、思っていたよりも綺麗な夕焼け空をカメラに収めることが出来たのだ。
部長は泣いて喜びながら「この恩は一生忘れない!」とか言い残して部室に引きこもっていた。まさか、私の写真メインで提示されるとは思っていなかったけど。大好きな空がでかでかと壁に貼り付けられているのを見て、悪い気はしなかった。
そして、その写真を彼が見つけたというわけだ。空を好きになってくれたのは個人的には嬉しい。……けれど。
「……視線が痛い」
「何か言ったか?」
「いや、別に」
毎日毎日ひたすら眺められるこちらの気持ちも考えてほしい。……まあ、写真を撮るのを邪魔されるよりかはマシか。
カメラのフィルムを巻き、レンズ越しに空を見る。今日もいい表情をしてる。シャッター音を辺りに響かせながら、青と白のマーブル模様をカメラに収めた。
またレンズ越しに空を見る。シャッターを切る。その繰り返し。私はこの時間が何よりも一番好きだ。
「なあ」
「んー?」
写真を撮り始めてからしばらく経った後、ふと彼が話しかけてきた。すでに一台目のカメラを使い切り、二台目のカメラのフィルムを巻いているところで。空に視線を向けながら、彼の声に耳を傾ける。
雲は相変わらずふわふわと風に乗って漂っており、自分も一緒になって浮いているような感覚に陥ってしまう。あ、飛行機雲。消えない内にと、ピントをすかさず合わせシャッターをすばやく切る。よし、間に合った。
「あんた、空以外を撮る予定とかあんの?」
「空以外を撮る気はない、撮ろうとも思わない」
そう言いつつ少しカメラの視点を下げる。中庭からでも校舎の様子が木々の間から良く見えるのだ。そっとレンズ越しに校舎の中を覗き見る。様々な生徒がお昼休みを思い思いに過ごしていた。
友達と昼食を食べながら談笑する女子。ふざけあいながら廊下を走る男子。それを見て怒鳴る教師。何故かレモンが大量にお弁当の中にある女子。そんな女子を呆れた目で見る男子。……あ、部長も居る。
そんな個性が溢れる情景を見ても、撮りたいという衝動は全くと言って良い程に起きなかった。