私は昔、幽霊と知り合ったことがある。
 ……いや、その子が幽霊だという確かな証拠を掴んでいたわけではなかったのだけれど、ただ漠然とそう思っていたことは事実で。銀髪に銀色の瞳、そして真っ白な衣を羽織っていた少年の少し異様な姿を幽霊だと捉えていてもまあ、おかしくはない年頃だったから仕方がないとは思う。

 出会ったきっかけだなんて本当に些細なことだった。
 夏休みの合間に存在する、長すぎる空白の時間を潰すために外で一人サッカーをしていた私が、不意に明後日の方向へと飛ばしていってしまったボールを彼が拾ってきてくれた、ただそれだけ。中々に男らしい性格をしていたその頃の私は、無理やり彼をサッカーの相手に誘ったのを今でも鮮明に覚えている。

 彼は本当に何から何まで不思議で満ち溢れている人だった。いつも音も気配も無く現れては、いつの間にかふっと姿を消していて。……そういえば、一人で留守番を任され心細かったときや、夜道が怖くて震えていたとき何かには決まって側にいてくれていた気がする。
 話し方も酷く特徴的で、単語単語をたどたどしく繋げて喋る姿に初めは戸惑ったけれど、時が経つにつれてそれは私の中の常識へと化していってしまっていた。
 そんな些細な思い出が次々と頭の中に蘇ってきて、何だか、とても懐かしく感じて。

 突如、生暖かい風が被っていた麦わら帽子を攫っていきはっと我に返る。
 いつの間にか踏切は九十度完全に上がっていて、目の前には線路で凹凸のある道が出来上がっていた。蝉のうるさく鳴く声が思い出したように鼓膜を激しく震わせる。
 ……そういえば、あの子は。慌てて踏切の向こう側を見るも、その姿は跡形も無く消えていた。
 ……今思えば、あの子は幽霊だとかそういう類のものじゃ無かったのかもしれない。たどたどしいあの独特な話し方は、まだあまり言語を理解してなかっただけかもしれないし、気配無く現れたのも私が鈍感だったから。そんな理由で全て片付けられる。

 そういえばパタリと会えなくなってしまったのは確か、中学校に入る直前だったと思う。あの頃は仲の良い友達もたくさん出来ていて、別れも近いからか彼の存在を忘れるぐらいに毎日遊びに出掛けていた。……もしかしたら彼はその時受験で忙しかったか、どこか遠くへ引っ越していたのかもしれない。

 何で今になって彼の存在を思い出したんだろう。それはきっと、誰かに縋りつきたい立場に立ってしまったから。誰かに側にいてもらって、誰かに連れ去っていってもらいたかったから。

「……会いたいなぁ」

 心臓が鷲掴みされたかのように苦しくなって、思わずもう一度そう口にすると背後からぽんぽんと背中を叩かれた。

「……へ?」

 間抜けな声を出しながら恐る恐る振り向くと、懐かしい顔がニコニコと私のことを見上げていた。

「え……あれ? だってさっき向こうに……え?」
「久しぶり 前以来 元気?」

 ああ、そうだ。その独特の単語単語で区切る話し方。紛れもなく記憶の中に埋もれていた彼の姿が今、ここに居る。

「ひ……久しぶり」
「うん」
「あい、会いたかったよ」

 戸惑って呂律が回らずにそっと笑い返せば、その何倍も笑顔を返してくれた。何もかもが懐かしい。その一言に尽きる。暑さも何もかもをを忘れて彼を抱きしめると、困ったように彼もまた抱きしめ返してくれた。
 ……これが私の求めていた居場所。離れたくなくってずっとその体制でいると、苦しくなったのかそっと腕を外された。その代わりに手を取られ、どこか楽しげな彼に手を引かれる。

「ボク ずっと 話したかった。たくさん たくさん これから 話したい」
「私もだよ」
「だから 家 おいで。ぼく 家 すぐ そこ。近くて 遠い けど すぐ そこ」
「ふふ、どっちなの」
「こっち こっち」

 とててて、と効果音が聞こえてくるぐらいに走る彼の後を追って私も踏切を潜る。そこで私は二つの異変に気付いた。

「……あれ?」

 彼の後ろ姿と過去の彼の姿とが突如ふっと一致した。ただただ一致するのではない。“完全に”一致しているのだ。
 ……どうして今まで気付かなかったんだ。目を見開きただただ後ろ姿を凝視していると、不意に彼は立ち止まりこちらを振り向いた。私の足も彼に合わせてピタリと止まる。人間離れしているように感じる綺麗な笑顔で、彼はそっと私の手を離した。

「もう少し 着くよ」

彼は年を取っていない?

思わず手を彼の方へと伸ばし、確かめようと、触れようとした。しかしここで二つ目の異変。

「……っ」

 腕が動かない。腕だけじゃない、足だって地面とコンクリートで固められたみたいにピクリともしない。カンカンと響く警報が頭の中をぐしゃぐしゃと掻き乱している中、彼はすぐ目の前まで浮遊してみせた。

「ぼく ずっと 寂しかった。ずっと 一人 ずっと ずっと。けど 今日で おしまい。全部 全部 みんな おしまい」

 夏だっていうのに冷や汗が止まらない。小さく小刻みに震えだした身体を落ち着かせるように抱きしめられる。

「ボク 君 だーい好き。これから 一緒。ずーっと 一緒」

 私を離した彼は本当に本当に嬉しそうで、ぐるぐると空中で回り続けている。ガタンゴトン、聞きなれた音が着々と近づいてきているのが分かった。心臓がはち切れそうなぐらいに脈打っていて、それでも動けなくて、音が近づいてきていて、すぐ側に、ぶつか、あああ、あ。

「だから ボク と 一緒に 還ろ?」

 私が最期に見たのは彼の心から楽しそうな笑顔だった。


とある夏の物語
(めでたし)(めでたし?)