笑顔


 何の変哲も無い日々に突拍子の無いことを言われたとして。
 その対応は言葉を発した人によって態度が変わるものだ。

 幼児の場合、優しい表情や言葉で緩やかに続きを促す。頭の出来が悪い場合、小馬鹿にされるかそもそも相手にされない。逆に出来が良い場合、何か哲学的な根拠を持っているのかと深く考え込んでしまう。

 もし。もしもだ。
 その現実味の無い発言を得体の知れない何かが発したとしたら。

 ……一体どんな対応が正解だと呼ばれるのだろう。


+ + +


「あの、」
「……何か用?」

 食後のお茶を運びテーブルの上に置くと、釣られるように近づいてきた彼に思い切って話し掛けてみる。
 向こう側へと落ち着いた彼は早速お茶に手を伸ばすと一息に飲み干した。喉仏がゆっくりと上下に動き、コップ越しの細められた目に覗き込まれる。

「いえ、その。出来れば詳しい事情とか……教えて……」

 欲しいんですけど。尻すぼみとなって消えていく言葉と逸れていく視線に自分で活を入れる。しっかりして。一応家主は私で、彼は居候の身だ。立場的にも年齢的にも恐縮する必要性は無い。
 そう言い聞かせて口を開くも、現実は想像通りに事が進まないもので。魚のようにパクパクと口を開閉はするけど、そこから言語が紡ぎだされることは無かった。

「……事情。事情ね」

 挙動不審な私の言動や態度を気にしていないのか、はたまた聞いていなかったのか関心が無いのか。どれに該当するのかは定かでは無いけれど、とにかく質問に対する適した解答を模索している様子。下手なことを口走ってしまうよりも大人しく待っていようとお茶を口に含む。
 湯呑を音を立てないように置き、自分の中で一息付けたところで彼が話し始めた。

「うん。名前ぐらいは教えてあげる」
「え……」

 確かにそれも重要事項だけれども。もっと他にも……例えば、その耳や尻尾についてのことを語って欲しかった。
 なんて自分から催促出来るほど社交的な性格では無いので、大人しく次の言葉を待ってみる。

「名前……うーん。ぬこゐさんで良いや」
「……偽名なんですか?」

 そんな訳ないじゃん、そう言って尻尾を振る彼は私と目を合わせてはくれなかった。かと思えば唐突に視線が混ざり、名を問われる。
 ……ああ、そうだよね。偽名かどうかは定かでは無いけど、受けたからには私も返さなければ。

「……佐倉日和(さくらひより)と言います」
「日和ね。よろしく」
「あ……はい。ええと、ぬこ……いさん?」
「ぬこゐさん」

 彼が主張するに『さん』までが名前らしいので、大人しくさん付けで呼ぶことにする。本来ならば私がさん付けされるべき立場だけれど……まあ、良いか。
 それよりも、ここに至るまでの経緯を聞いてみたい。いきなり突っ込んだ話を聞くのは失礼かな、もう少し時間が経ってからでも……いやでも。
 同じような議題にこめかみを抑え唸っていると、いつの間にかカーペットの上へと戻っていた彼が怪訝そうにこちらを向いた。

「聞かないの?」
「え、いやその。何のことでしょう……」
「だから、これとかこれ」

 ストレートに問われると何か後ろめたいものを感じて、ついはぐらかす。するとこれ。と言う単語と共に揺れ動く二つの部位。ぎくりと肩を揺らせば、呆れたように溜め息を吐かれた。

「言ってくれないと分からないじゃん。はっきり口に出してよ」
「す、すみません……」
「別に良いけど」

 そうしてまた、これみよがしな溜め息。思わず謝罪の念を言葉で表すと面倒そうに首を振られてしまった。すぐに謝るな、ということらしい。
 口を一文字に結び、その代わりと言ったように眉を下げ目を閉じた。すると、手触りの良い何かが手に当たった気がして視線を寄越してみる。見た目よりも毛並みが良く柔らかいそれは、ゆっくりと私の手の甲で数回跳ねた。
 彼を見ると、尻尾とは正反対につんと窓の向こうを眺めている。

 ……彼なりに慰めてくれているのだろうか。
 全く逆の反応を示しているその様子が何だかおかしくて、つい笑い声をもらしてしまった。はっと口を抑えると、いつの間にか振り返っていた彼と目が合う。
 恥ずかしい。羞恥で顔が朱に染まっていくのを感じると、彼の口元も少しだけ緩んだ気がした。


笑顔
(笑ってる方が可愛いよ)