PM 10:00
「……ああ、もう月があんナに高くまで登っていまスね」
世間話を一方的に話していたら時間が大分過ぎていたらしい。そろそろ失礼しますか、とベージュ色を撫でて寝台から立ち上がる。
と、目の端に羊皮紙が写り込んだ。全体的に丸みを帯びた可愛らしい筆跡で、相変わらずの『ありがとう』の五文字。
「……嫌でスね、礼を言うのは僕の方なんですヨ?」
羊皮紙を手に取り、そのまま崩れてしまわないように優しく抱きしめる。それでも耐え切れなかったのか、端の部分が少し欠け落ちてしまった。
「僕は貴方が居てくれたカらこそ、心が宿ったのでス。……分かっテいますか?」
ああきっと、彼女は分かっていないのだろう。
いつだって申し訳無さそうに謝る姿に、僕は何度心を痛めたことか。
「知っていますか? 僕は貴方が好きでス。好きナんです」
ふと気が付けば瞳から何かが溢れ出ていた。ハッとなり指で触れてみればどろりと滑り、見てみれば黄色く濁っていて。違う、これは涙なんかじゃない。油だ。
「愛しています、ずっとズっと。これからも、いつまでモ」
しかし彼女は答えない。答えることは出来ない。
人差し指と親指を擦り油を弄ぶ。指に絡みついて離れないそれは、僕がアンドロイドだという事実を嫌というほどに示していた。
所詮、僕はアンドロイドだ。彼女と同じ存在になんてなれるはずが無い。
「愛しています……本当でスよ?」
答えない。彼女はいつも通りピクリとも動かず、ただ目を閉じて静かに微笑んでいる。
「慕っているのでス、心から。こんな陳腐な言葉じゃ全然、全く足りていないぐらイに」
答えない。手を取り握り締めても返されることは無く、その拍子で彼女の上半身が力無くベッドの上に倒れ込んだ。……酷く冷たい。
「だから早く、病気を治してくださイね?」
答えない。
「僕はずっトずっと待っていますカら。……それこそ、永遠の時を生きて」
スイレンは一足先に力尽きてしまったけれど、僕だけは永遠に貴方のことを。
とっくに魂が抜け落ちた彼女を強くきつく抱きしめれば、僕とは反対方向に首がかくりと傾き、ベージュ色をベッドへとマーブル状に混ぜていった。