感情の終着点には
夕日によって色づいた地面に足元から伸びた二つの影がすぐ前でゆらゆらと揺れる。隣を歩く圭人の影は私よりも少しだけ前方に長く伸びていた。
「……やっぱり鞄、持ちます」
「大丈夫」
手持ち無沙汰になっている手を彼の前に差し出すと軽く払われてしまった。
申し出を断られた可哀想な手をしぶしぶと下げ、歩く動きに合わせて左右交互にぷらぷらと振る。二人分の鞄を背負っている彼の影をぼーっと眺めていると、ふと沈黙が流れていることに気付いた。
いつからだろう。沈黙が苦と感じなくなったのは。
それはまあ、十年以上も行動を共にしているからだろうけど。もういい加減、お互いのことなんて隅から隅まで語り尽くしたような気がする。少しずつ話題が無くなってきたと思っていたら沈黙が続くようになってしまい。それで初めは居心地の悪かった沈黙がいつの間にか心地よくなってきて。
なんてそんなことを考えていたら一言声をかけられ思考がぷつりと途絶えてしまった。
「何かご用ですか?」
そう答えれば「いや、何か考えてたみたいだったから」といつもの怠そうな声が返ってくる。そんな返答に思わずう、と言葉が詰まってしまった。……何かこう、改めてそういうことを口に出すのは抵抗があるというか。
「ボーッとしていただけです」
「……そう?」
ある意味正解とも受け取れる言葉を少し間を置いて返せば、彼は少し考え込むような素振りを見せた。かと思えば何かを思い出したように顔をこちらに向ける。
「葵、何か俺に言ってないこととか無い?」
「……はい?」
圭人はいつも必要なことだけを淡白に話してくれるおかげで会話が楽な反面、前置きも何も無く唐突に話し始めてしまう節がある。今がまさにそれだ。
「先ほど呼び出された一件のことですか?」
「それもあるけど……もっと他にも」
それもある、ということはどうやら先程の嘘がバレていたらしい。いや正確には嘘では無くて……と、そんな言い訳はどうでも良いか。
「特には思い付きません」
まあ、それも嘘なんですけど。
「……へえ」
何か言いたげに開いた彼の口が言葉を紡ぎ出すよりも早く「ではこの辺で」といつもの分かれ道で止まる。不服そうな表情を浮かべたけれど、それは本当に一瞬のことで。すぐ差し出した手へと鞄を渡してくれた。
肩に紐をかけながら手を振ると、いつの間にかこちらに背を向けていた彼がひらひらと手を振っていて。
本当に気分屋というか、何というか。呆れながらも不思議と不快感は感じずに、ほとんど沈んでいる太陽の淡い光を心地よく体に浴びる。視線の先には様々な色合いの一軒家が立ち並ぶ群の向こう側、屋根の中に突き出た白いマンション。あれが私の家……もとい、無道様の住居だ。
+ + +
どのぐらい時間がかかったのか、だなんて覚えていない。気付けば私はいつもの見慣れた扉の前に立っていた。
あの分かれ道からずっと無道様のことを考えていたら、足が無意識にここへと導いてくれたらしい。……い、いや仕方ないよ。誰だって好きなことをしているときに限って……何というかこう、時間がすぐに過ぎ去ってしまうように感じてしまうから、うん。
頭の中で一人言い訳を並び立てながら一人で勝手に納得し、取っ手にそっと手をかける。扉が開く音と共に広がるのは視界いっぱいのモノクロの世界。真っ白く真っ直ぐな廊下には黒い家具がポツリポツリと置かれていて、全体的にスッキリとしたような独特な空気感が醸し出されていた。
ちなみに言うと、廊下だけでは無くどの部屋も同じような色合いで統一されていて。個人的には凄く好きな雰囲気だ。
見慣れた家具達の横を通り過ぎ、廊下の突き当たりにある扉の前で一旦、止まる。リビングへと繋がる一枚の板。……この向こうに無道様が居る。それだけで、そう思うだけで心拍数が急上昇して、まるで今にも止まりそうな勢いだ。
震える手でドアノブに触れ、思い切り押し開く。
「……無道様。只今帰りました」
テレビも何もつけていない無音の部屋に、私の声だけが静かに響く。ちょうど中央に位置する黒の長いソファの上に彼は居た。
「やあ、おかえり」
家具にふっと同化してしまいそうな黒髪に、精神的な年齢とは相反して幼く見られがちな童顔。全てのパーツがバランス良く配置されていて、整った顔立ちというのはこういうことを言うんだな、そう納得してしまうほどの綺麗な顔がニコリと笑った。いつも通り妖艶に、怪しげに。
「……無道様、」
今日も私は吐き続ける。伝わらない彼に、愛の言葉を。