……とまあ、そういうわけで。今私は隣に住んでいる幼馴染兼千冬の部屋へとお邪魔しているわけだ。

「……何ぼーっとしてるの?」
「ん、あー何でもない」

 適当に誤魔化しながら教科書を手に取りページをめくってみる。確か今回のテスト範囲は……ここからだったかな。

「んじゃ、この辺解いてみて」
「ん」

 教科書を受け取りノートに解答を書いていく千冬の横顔を、頬付をしながら何となしに眺めてみる。
 あちこちへと思い思いにはねている群青色の髪にすっと通った鼻にやる気の無さそうな目。真面目に解いているのか何も考えてないのか良く分からない表情。
 その整った顔立ちから、彼は一見人にクールな印象を与えるが、中身はまあ、一言で言うと掴めないというか、天然。それも作られたものなんかじゃなく、この人の場合は骨の隅々まで行き渡っているんじゃないかと思えるぐらい、本物のそれだ。ちょっとばかり化粧臭い女子がわざとやっているような、鼻につくソレではなく本当に、純粋な。

「……あのー」
「ん、何?」
「あんまり見ないで。……集中出来ない」
「あー、……すんません」

 叱られて少し気分を落としながら机の上へと視線を落とす。
 ……そういえば、加奈は大丈夫かな。一人で留守番任せちゃったけど。
 加奈というのは、私の妹だ。今は小学二年になったばかりで、年の割にはなかなかにませている。あの子は確か、今は私のクラスに居る同級生にラブアピールをしている……らしい。
 可愛い妹の恋を応援したいのは山々なんだけれど、恋が実ったら実ったで犯罪になるような気がするのは気のせいだろうか。……うん、まあ、愛に年の差は関係ないっていうしね。大丈夫だと信じてる。

 私の兄弟は妹の他に私と年が近い弟が一人居る。故に、私は長女という立場に立っている。その立ち位置からかどうかは分からないけれど、自分はかなり……その、おせっかいな性格に育ったらしい。
 このプチお勉強会も私のその性格が少なからず災いしたと言っても良いかもしれない。九割はこいつのせいだと思うけど。

 と、彼のほうへと視線を向けるとばっちり目が合ってしまった。不意のことだったので少なからず動揺してしまい、何か言わないと、と思ったら口が勝手に動いていた。

「な、何だよ眼鏡」
「いや僕眼鏡かけてないんですけど。……解き終わった」
「あれ、早いね」

 ノートを手渡され一ページにも満たない問題数にざっと目を通してみる。……こ、これは。

「全部合ってる……」
「ありがとう」
「いや別に褒めてはいない」

 念のためもう一度解答を照らし合わせてみるが……うーん、スペルも間違ってはいない。何で赤点なんてとったんだ、こいつ。

「何で赤点とったんだ、って顔してるね」
「何で分かったんですか」
「顔に書いてある」
「消しゴム及び修正液を私に貸してください」
「実際に書いてあるわけではないので落ち着いてください」

 筆箱の中を漁っていた手を止められ、むっとした私の目の前に一冊のノートが差し出された。……何、これ。表紙を観察してみると、『単語ノート』と記載されている。テストの勉強用に作成したノートなのだろうか。
 千冬の手からノートを奪い取り、パラパラとページをめくる。これといって特徴の無い、ごくごく普通の大学ノートだけれど……いや、普通じゃないところを発見してしまった。

「千冬、千冬」
「何」
「このノート人名しか書かれてないんですけど」
「うん」
「いや、うんじゃなくて」
「うん」

 ページを指さしながら千冬に訴えかけてみる。そこには一面に『Mika』だの『Aya』だのとローマ字で表記された人名で埋まっていた。何だ、誰かを呪うつもりなのかと思ってしまうぐらいに、文字がびっしりとノートを支配している。

「僕さ、赤点とったのこれが原因なんだよね」
「……は?」
「いや、だから」

 ペラリ、と目の前に突き出された紙……良く見ると千冬のテストの答案用紙に目を通す、と。

「……なるほど」
「お分かりいただけただろうか」
「『Ken』が全て『Kon』になっていらっしゃいますね」
「うん」
「…………」

 ……つまりは。彼は、人名のスペルを間違えたせいで次々とバツを付けられ、散々な点数になってしまった、と。そういうことになるのだろうか。……うん。

「千冬、本当は馬鹿でしょ」
「失敬な。まさかケン君が登場するとは思ってなかっただけ。盲点だった」
「ケン君はミカちゃんと同じぐらい英語界では知名度が高いと思うんだけど」

 はあ、とため息をついて解答用紙と単語ノートを返す。……あれ、けどこれって。

「私、別に勉強を教えに来なくても良かったんじゃ?」
「……あー」
「あーじゃないわ。私が無駄にドラ焼きもんを見過ごしちゃっただけじゃん」
「……まあ、良いじゃん」

 どうせだし最後まで勉強に付き合ってよ、と教科書を寄越してきたので、しぶしぶ受け取って適当に問題を選ぶ。再びノートに向かった千冬を横目に、本棚に収まっている本を適当に手に取りめくりながら、窓の縁に背中を預けてベッドの奥に座る。

 時計の針の音と本のページがめくれる音。それとシャーペンがノートを走る音しか存在しない空間になりつつあったとき、「あ」と急に千冬が声を漏らした。

「え、何。どうしたの」
「暇だ」
「勉強しろよ」

 千冬はきょとん、とした様子で私の方を見てくる。
 いやいや、私のほうが数倍きょとんなんですが。