その笑顔が見たくて


 先輩がこの学校を卒業してから早一年。今では二年生にも関わらず、先輩の後を継ぐかのように私が茶道部の部長を務めている。
 部員は初めこそ人数が多く盛り上がりを見せていたものの、時が経つにつれ周りの華やかな運動部へと移っていった生徒が数名、加えて幽霊部員も幾人か。実質、毎日足繁く部室へと顔を出しているのは私ぐらいのものだ。
 勿論、誰も居ないからと言って部活を投げ出す訳にもいかない。顧問の先生ですら見かけることのない閑散とした和室の中で一人、茶道具を一式揃えてお茶を立てる。

 茶筅と茶碗がぶつかりあう静かな音と校庭から流れてくる歓声が酷く不釣り合い気がしたのだけど、長年聞きなれてしまった私の耳は「いつものことだ」と今更その不協和音に動じなくなっていた。
 あくまで形式のおさらいのつもりで立てたお茶は誰の口元にも寄せられることはせず、自身で味を確かめようと茶筅を元の位置へと戻す。
 左の手の平に乗せ、右手で二度茶碗を手前に引いてから口を付ける。……ううん、もう少し長くお茶を立てていたほうが良かったのかもしれない。

 手順をもう一度頭の中で復習していると、ふと初めて先輩からお茶を出してもらったことを思い出した。茶道のさの字も知らなかった私に一から何もかもを教えてくれたのは他の誰でもない、先輩だ。
 いつも先輩が立ててくれたお茶は味わうと気分がとても落ち着くようで。どうしてそんなに美味しく出来るんですか、と聞けば「心をたくさん込めているからですよ」なんて微笑まれたこともあった。
 教えてもらってばかりでそういえば先輩に私のお茶を飲んでもらったことがないな。そう気付いたのは既に先輩が大学の受験に勤しんでいた時期のことで。
 茶道を嗜んでいる時間も余裕も無かった先輩とは、大学に無事合格してからは文通でやり取りをしていたものの、それっきり会う機会もなく顔を見なくなってしまった。

 ……けれど、それはもう今日までの話。明日、先輩は久しぶりに様子を見に部活へと足を運んで来てくれるらしい。
 初めて先輩にお茶を出す。それを想うだけでも、もう茶碗を持つ手が微かに震えた。彼は喜んでくれるだろうか。そして初めて会った時のように、優しく微笑んでくれるのだろうか。

 緑色をした水面の中に映る自分の瞳に視線を移すと、すぐ先の未来を想像して彼のように少しだけ口元を綻ばせた。


その笑顔が見たくて
(少しだけ、頑張りました)