「……次? まだやるの?」
「あれを乗り越えた私になら多分、もう何でも出来ると思うんだ」
「ふうん……」

 顎に手を当てしばらく視線を宙に漂わせていると思ったら、ふと視線が合ってしまい何故かぎくりとした。思わず視線を外すと「じゃあさ」と話し始めた彼の言葉に耳を傾ける。

「ツンデレっていうの? あれやってみてよ」
「もうそれ自分が見たいだけになってきてやしませんか?」

 気のせいだよ、と納得のいかない解答にううむと唸ると教室の扉がいきなり乱暴に開けられた。それはもう、扉が壁とブチ当たって粉々に壊れるんじゃないかってぐらいに。
 入学した当初はいちいち肩を跳ねさせてしまってはいたが、今ではもうその轟音に慣れてしまい教室内はいつも通りのシンプルな風景を保っていた。
 毎日毎日、その乱暴な開け方を目にしていたせいでもう大丈夫だと安心してしまっているけれど、それでも壁の強度への心配が高まってしまう。ヒビが入っているかどうか私のクラスでのみチェックされているからね、風紀委員に。
 そんな私たちの些細な心配事をよそに、豪快な扉の開け方をし続けている人物に該当するのは今のところ一人のみ。我がクラスの担任様だ。

 『様』と付いているのは決して身分が違うから、だとかそういうわけではないので、そこのところは勘違いしないでほしい。なんというか、この人はこう……自由に生きているというか、自分中心に世界が回っていると考えているというか。そういう性格だ。正直何で担任になれたのか真剣に悩む域に達している。こういうのをなんて言うんだっけ、一言で言うと……ああ、俺様とかっていうんだっけ。
 それでも生徒からの信頼が厚く慕われているのは、顔が異常に整っていることとフレンドリーな性格からだろう。例を上げるとするならば生徒のことは必ず名前で呼ぶところとか、ね。それに、何だかんだ言って生徒想いなところもあったり。
 短所を補うほどの長所が溢れ返っているのがこの人の特徴だと私は思う。そんな先生のことは勿論私も好きだし、不本意だがこの先生が担当しているクラスで良かったとも感じている。

 ……とそんなことをボーッと考えていると、自分の名前を呼ばれ我に帰る。どこから発せられているのだろうかと辺りを軽く見渡せば、その声の発信源は廊下辺りで聞こえてきて。そちらの方へと振り向けば例の先生が私の名前を叫び、探すように視線をあちらこちらへとせわしなく動かしているのが見えた。

「あー、私呼ばれてるわ。……そうだ」

 にやり、と自分でも気持ち悪いと感じるほど口の端を釣り上げ「ついでにツンデレも実行してくる」と話すと露骨に嫌な顔をされた。何だ、そんなに気持ち悪い顔してたか私。地味に乙女のハートが傷つくわ。

「先生に? ……止めときなよ」
「大丈夫大丈夫。だってあいつだもん」

 あいつ、と指で軽く指し示すもそれでも渋られ今度はこちらが眉を寄せる番。

「どうしたの? 楓あの先生に忠誠とか誓うキャラだったっけ?」
「いや、そういうんじゃないんだけどさ」
「だったら」
「でも」

 何か嫌。
 知らない内にまた静かに混じり合っていた視線。驚くぐらいに真剣な瞳に、図らずとも息を呑んだ。一瞬教室の僅かな喧騒が鼓膜を震わせなくなった気がしたけれど、それは本当に一瞬のことで。
 すぐに我に返った私とは裏腹に、携帯へと視線を預けた楓は、まるで何事も無かったかのようにかちかちと忙しなく操作をし始めた。……何だったんだ、今のは。

「意味分からん。とりあえず行ってくるよ?」
「……」

 返事をしない楓に少し首を傾げるも、先生の方へと歩みを進める。
 さっきの違和感というか、緊張というか。あの良く分からない感覚は何だったのだろうか。自問自答しようとしても一向に答えが出ず、とりあえず保留にして心の中を整理していたら、いつの間にか先生の元へと辿り着いていた。

「おーおー、お熱いこって」
「……何の話ですか?」
「別に?」

 ニヤニヤ顔の先生に少しだけ殺意が沸くのを感じつつ、「用件は何ですか?」と問うと思い出したかのように手のひらに拳をぽんと叩く。

「そうそう、爽。お前今暇か? 暇だろ? 俺の次のありがたい授業の準備の手伝いでもしないか?」
「すみません今ちょっと自分を探してるところなんでとてつもなく忙しいんです」
「何言ってんだ? 暑さで頭でもやられたか?」
「楓と同じようなこと言わないでください」

 溜め息を吐き呆れるも、頭の端で静かにちらつくのはやはり先ほどの楓のあの態度。……何というか、らしくなかったな。

「違和感の原因を知りたいか?」
「……え?」

 頭二個分ほどの差がある高さから唐突にそう声が投げかけられ見上げると、瞳を通して頭の中を覗き込まれるような感覚に陥った。まるで全て見透かされたような気持ちだ。いや、実際に心を読まれたのかとも思ってしまったのも事実で。
 唐突に投げかけられたその言葉に二、三度まばたきをしていると「だったら尚更俺の手伝いをしてもらわんとなぁ」と笑われた。

「……仕方ないですね。手伝ってあげようじゃありませんか」
「おう、付いてこい」

 目指すは準備室だ、と行き先を告げられ先に歩き始めた先生の後を小走りで付いていく。この違和感の正体がもしかしたら、自分探しにピリオドを打つ手がかりになるのかもしれない。何の確証も筋道も無いけれど、ふとそんなことを思ってしまった。