「……で、」

 何なんですか、これは。
 あまり掃除をしていないのか小さなほこりが舞っていて、鼻を微かにくすぐりむずむずとしてしまう。あ、くしゃみ出そう。
 少し移動を試みてみるも、足の踏み場も無いというのはこういうことなのだ! と示しているかのように床に散乱している書類やらファイルやらに足を取られそうになった。
 それだけじゃない。壁にも目をやると、ここだけでももうちょっとした図書室替わりになりそうなほどの本がぎっしりと敷き詰められていた。何か、一言で言うとごちゃごちゃしているというか。とにかく汚い。

「……整理くらいしたらどうですか。そんなんじゃいつまで経っても結婚なんて出来ませんよ?」
「ほっとけ。おら、口を動かすより手を動かせよー」

 タバコを口に咥えつつ私に向かってしっしっと手で払う先生に少し苛つきを覚えながらも、とりあえず足元に散らばっている本を適当に取ってみる。『歴史上の偉人達』『三分で作れる簡単レシピ』『赤ずきんちゃん』等ジャンルは様々だ。
 ……いやいや、何で絵本とか雑誌とかも混ざってるんだ。この人準備室で何やってるの? 子育てでも始める気? いや、それよりも。

「……先生、私はただ準備室の整理をしに来たわけじゃないんですけど」
「ああ? ……駄目だぞ、先生にはちゃんと好きな人が居るんだからなー」
「どう聞き間違えたら愛の告白に聞こえるんだよ。……ちょ、そんな本気で申し訳無さそうな顔しないでください、勢い余って殴りたくなります」

 たまたま手に取っていた辞書を投げつけてしまおうかと構えると、「まあ冗談だ、冗談ー」と軽く返されてしまった。その加えてるタバコを口の中に押し込んでやろうか。

「あー、何? 自分探し? だっけ?」
「はあ、まあ……」

 単語に変換されるとどうにも馬鹿にされているようで少しどもってしまう。「思春期特有っつーか何つーか」と本を捲っている音と共に漂ってくるタバコの煙に少し目を細めながら、次の言葉を大人しく待った。

「そうだな。じゃあ聞くが、お前は一体どんな答えが欲しいんだ?」
「……はあ?」

 疑問符に疑問符で返され、思わず生徒という立場を忘れて素で聞き返してしまう。慌てて訂正するように「どういう意味ですか?」と言い直すと、本を捲る音がいつの間にか消えていた。

「自分を探してるっていうことは、だ。少なくとも自分の中で何かしらの理想みたいなものがあるんじゃないのか? あの子みたいになりたいとか、あの人が憧れだとか」
「……理想?」

 理想、理想。そんなもの考えたこと無かった。というよりそんな風に深く考えてすらいなかったのかもしれない。押し黙る私にすっと目を細めた先生は呆れたようにまた本を捲り始めた。

「……甘酸っぱいな。お前らが羨ましいよ」
「……はい? 何の話です?」
「さ、片付けの続きすんぞ」
「な、」

 片付けの続きだとか言いながらも自分は本を読んでいるだけだろう、と心の中で呟いたけれどそれよりも。

「先生、私まだ何一つ分かっていないんですけど」
「そうか、良かったな。さ、早く」
「先生!」

 言葉を遮るために辞書をその辺に思い切り叩きつけるように投げつけ、ずかずかと詰め寄よった。そして先生が寄りかかっている机を叩き、睨むように見上げる。少し辞書の安否について気にはなったが、それ以上にこちらのほうが私にとっての最優先事項だ。

「私をからかってるんですか?」
「そんなこたーない。俺からは言えなくなっただけだ」

 ああけど一つだけ言えるとしたら、と手にしていた本を床に適当に放り投げた先生は、その行動とは真逆に息を飲むぐらいに真剣な眼差しをしていた。何だか逆に責められているような気分になり、負けじとその視線を打ち返す。

「……探究心と口実を履き違えるなよ」

 一瞬、言われた意味が分からずにそのままフリーズしてしまう。
 探究心というのは多分、この自分探しについてのことだろう。それ以外に考えられない。ただ問題なのは、履き違えていると指摘された口実について。一体、何に対しての?

「……ヒントをください」
「自分で考えろ。……と言いたいところだけどな」

 机の上に置いたままだった手の上に圧力がかかり、先生との距離が近くなる。視線だけそこに寄越せば、私の手の上にまた手が重ねられ体重を軽くかけられていた。動けない。

「お前は言わないと中々理解しないからな。純粋な探究心だと自分自身に言い聞かせて納得するのも良いんだが、その自分探しとやらには何か別の目的があったんじゃないか?」
「別……? そんなの、」
「無いと言い切れるか?」
「…………」

 そんなの無いはず。自分の中で出た曖昧すぎる答えに目を見開き瞳が揺れるのを感じると、ふっと先生が優しく笑った。

「それを良ーく考えるこった。難しすぎたか?」
「……」

 再度押し黙った私の頭を軽く撫でるように叩いた先生は相変わらずのニヤニヤ顔で、タバコを口から外し灰皿に押し付けているのが視界の端に映る。そしてそのまま流れるように、どこからか取り出した携帯をカチカチと鳴らし二つに折りたたんだ。
 この動作の間でも私の手の上に乗ったままの先生のそれは微動だにせず、むしろ先ほどよりも圧力を感じるのは気のせいだろうか。そう疑問に思うも、それ以上に自分自身に問いかけているのは先ほどの先生の言葉。まとめると、自分探しには自分でも分からない何か別の目的があり、口実としての役割も果たしているということ。……らしい。
 だったら私は何を目指して自分探しを実行してきたのだろう。
 私は一体、何がやりたくて、